大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和36年(わ)1516号 判決 1961年12月19日

被告人 田村茂雪

昭一五・一二・二六生 工員

佐藤正勝

昭八・一・一一生 工員

主文

被告人等を各懲役三年に処する。

被告人等に対し、未決勾留日数中各一八〇日をそれぞれ右本刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人等は、昭和三六年二月五日午前零時三〇分頃、布施市足代北二丁目五九番地大福寿司前附近路上を徘徊中、偶々同所を通りかかつた吉岡徳治(当二五年)の身体が被告人佐藤の身体に突き当つたことに立腹し、黄竜達と共謀の上右吉岡に暴行を加えようと企て、南一家の者をなめているか等と因縁をつけ、同所より同市長堂一丁目四二番地入江広介方西側附近路地に連れ込み、同所で右吉岡外一名の者と乱闘を始めた。その際被告人佐藤は手拳で右吉岡の顔面を数回殴打し、右黄竜達は長さ約一米の角棒で同人の右後頭部を一回殴打する等の暴行を加え、因つて同人に対し全治約二週間を要する右後頭部並びに右手挫創の傷害を負わせたが、被告人佐藤は右乱闘のさ中、双方互いに腕を廻して取組合中、右吉岡が左腕にはめていた腕時計(シチズンクローム側一七石)が偶々自己の手に触れたのを幸い素早くこれを掴み取つて窃取した。そうして、なお引き続き被告人佐藤、黄竜達等は、既に抵抗の気力を喪失している同人をなおも前記入江方西側板壁に押しつける等の暴行を加え、被告人田村が所携のビール瓶(底の部分の割れたもの)を構え同人に対し、「これで頭を割つてやろうか。」顔を切つてやろうか。」等と脅迫し、更に同被告人が、「医者代を取れ。」と叫ぶのを合図に被告人佐藤等もこれを了承し、ここに金員強奪につき通謀を為し、同所において吉岡を三方より取り囲んで前記板壁に押しつけ、その反抗を抑圧した上、被告人田村、黄竜達等が同人の背広上衣のポケツトに一斉に手を突込んでその所有の現金約三〇〇〇円及び定期入一個を強奪し、

第二、被告人田村は、同年八月九日午後五時三〇分頃、大阪府大東市寺川町一三八番地大阪拘置所四条拘禁所雑居二舎二房内において、同房の深井正と房内の整頓のことから口論し、喧嘩となつたので同房の者がこれを仲裁しようとした際同房の小財正義(当時二三年)が、「やらしておけ。やらしておけ。」等と再三右喧嘩を煽動したことに憤慨し、同房内にあつた舎房用窓硝子戸(昭和三六年押第八四八号)をもつていきなり同人の頭部を一回殴打し、因つて同人に対し加療約二週間を要する頭頂部及び右側頭部切創の傷害を負わせ

たものである。

(証拠の標目)(略)

(判示第一の事実を認定した理由)

なお、判示第一の被告人等の一連の所為につき、検察官はこれを強盗致傷行為であると主張し、一方被告人田村の弁護人は、同被告人については傷害と恐喝(腕時計の点を除く)の責任を、被告人佐藤の弁護人は、同被告人については腕時計に対する遺失物横領若しくは窃盗の責任をそれぞれ負うに過ぎない旨反論するので、当裁判所が前記のとおり認定した理由につき若干説明を附け加えよう。

一、まづ強盗致傷行為と云うには、一般に傷害が強盗の機会において生じたものであることを必要とし、且つそれで十分と解せられるのであるが、右「強盗の機会において」というには、傷害が少くとも犯人の強盗の犯意を生じた後において生じたものであることを必要とし、単に右傷害が時間的、場所的に強盗に接着しておればそれだけで足りるというわけのものではない。しかして前記各証拠によれば、被害者吉岡の頭部等の傷害は時間的に見て、被告人等が強盗の犯意を抱く以前の同人との乱闘中に黄竜達が角棒で殴打する等によつて生じたものと認められる。(なお、右吉岡の右手挫創も同様右乱闘中、同人が被告人佐藤若しくは黄竜達による暴行に対する防禦に際し、附近家屋の板壁その他地面等に右傷害の部位を激突若しくは接触させた際に生じたものと認めるのが相当である。)この点被告人佐藤の司法巡査に対する昭和三六年四月一七日付供述調書によれば、恰も被告人等が強盗の犯意を生じ、その実行に着手した後、若しくはそれと同時頃に右吉岡の頭部等の傷害が発生した如き記載部分があるが、この部分は前記各証拠に対比して信用できない。その他被告人等が強盗の犯意を生じた後に右傷害が発生したことを認めるに足る証拠は全く発見できない。したがつて判示第一の被告人等の一連の所為につき検察官がこれを強盗致傷行為であると主張する点は採用できない。(被告人佐藤による腕時計の奪取も、それ自体は結局窃盗と認められ、強盗致傷行為とならない点は後述のとおりである。」

二、そこで次に右吉岡に対する傷害について被告人等の刑責の有無を考えてみるに、その直接の加害者は前記認定のとおりであるが、(右手挫創については、その傷害の部位に対し、直接被告人等の物理的力が行使されなくても、被害者の身体の他の部分に対する暴行に際し、被害者がこれを防禦しようとして、そのため受傷したものであれば、右暴行と該受傷との間には相当因果関係を認めるべきである。)本件においては、前記各証拠によると、被告人佐藤と右吉岡とが突き当つたことから被告人等が南一家の者をなめているのかと同人を脅し、被告人等三名で話をつけようと、同人を取り囲むようにして路地の暗がりへ引張り込んだこと、そしてその直後に被告人佐藤と吉岡との殴り合いが始まり、吉岡の連れの池浦登も自分等の身の危険を感じて角棒をもつて被告人田村等に立ち向つていること等が認められ、これ等の事情を考え合わせると、被告人等が吉岡を判示大福寿司前より路地へ連行するに当り、暗黙の中に同人に対し暴行を加えることの共謀がなされたものと見るのが相当であり、したがつて被告人等はその直接加害者であると否とを問わず、右暴行に基く傷害の結果に対し刑責を負わなければならないこともちろんである。

三、次に右暴行の最終段階に、これに接続して行われた被告人等の同人に対する金員奪取行為(腕時計を除く。)についてその責任を考えて見るに、まづこの点について被告人等の間に通謀がなされた事実は、判示のとおりであつて、このことは被告人田村が、「医者代を取れ。」と叫ぶのを合図に、同被告人及び黄竜達が一斉に吉岡のポケツトに手を突込んで金員を奪取していること、その際被告人佐藤も同人を前記板壁に押しつけていたこと等から容易に推知することができるのである。もつとも、被告人佐藤は当公判廷において右通謀の点を否認し、被告人田村も当公判廷において当時の被告人佐藤の行動につき、同被告人は右吉岡の傍で自分の頭を抱えて立つていたと思う旨供述しているのであるが、被告人等の検察官に対する各供述調書、当審第二回公判調書中証人吉岡徳治の供述記載、当審第三回公判調書中証人黄竜達の供述記載を合わせ考えれば、当時被告人佐藤が右吉岡を前記板壁に押えつけていたことは明瞭であり、その他同被告人は後述のとおり当時既に同人から腕時計を窃取していたこと、被告人等が金員奪取後逃走の途中、被告人田村、黄竜達等は、いづれも右金員を被告人佐藤に渡していること、被告人等両名は、右犯行直後右金員を洋酒バーにおいて酒代に費消していること、これ等の事情を合わせ考えると、当時被告人佐藤だけが犯行現場に居りながら単なる傍観者に止まつたとは到底考えられないのであり、結局前記認定のとおり、被告人佐藤についても強盗の通謀を認めるのが相当であつて、これに反する前記被告人等の各供述は信用できない。しかして右金員強奪行為は、前記認定のとおり、被告人等の暴行により頭部等に傷害を受け、既に抵抗意思を喪失した被害者に対し、深夜、人通りのない暗がりで被告人等三人でこれを取り囲み、板壁に押しつけた上で行われたものであり、これ等の暴行は社会観念上被害者の反抗を抑圧するに十分のものである。したがつて被告人等はいづれも右金員の奪取につき(腕時計の点を除く。)強盗の責任を負うべきこと明らかである。

四、次に、被告人佐藤による腕時計奪取行為について考えて見るに、当審第四回公判調書中同被告人の供述記載並びに第五回公判廷における同被告人の供述によると、同被告人は被告人田村等が右吉岡から金員を強奪して逃走するに際し、被告人佐藤が誰かに手を引張られてつまづいた際腕時計が同被告人の手に触れたのでこれを拾つて帰つたというのであるが、そのような拾得方法自体極めて偶然の出来事であり、更に酒に酔い急ぎ逃走しようとしている際の行動として不自然でさえあると考えられること、右のような供述は当公判廷に至つて初めて現われたもので、これを裏付けるに足る何等の証拠も存しないこと等から考えて右拾得したとの同被告人の供述は信用できない。なお腕時計奪取の際の情況について、同被告人の司法巡査に対する昭和三六年四月一七日付供述調書によると、黄竜達が右吉岡を角棒で殴つて同人がぐつたりとなつたところを同被告人が奪取した旨の記載があるが、この点は前記証人吉岡徳治の供述記載、同被告人の検察官に対する供述調書等に対比して信用できない。それで結局前記のとおり同被告人と右吉岡とが取組合いをしている最中、同人の腕時計が偶々自分の手に触れたところから偶発的に犯意を生じ右吉岡が喧嘩に気をとられて夢中になつているのに乗じこれを同人の腕から掴み取つたものとみるのが相当である。なお当時同人に暴行が加えられていたとしても、これを手段として反抗抑圧の上腕時計を奪取したと断定するに足る証拠もなく、その余の被告人等がこれに通謀したと認めるべき証拠もないから、結局腕時計については、被告人佐藤単独の窃盗行為と認めるべきである。(法律の適用については、後記参照)

(被告人佐藤の心神喪失或いは耗弱の主張に対する判断)

被告人佐藤は本件各犯行当時、飲酒していたため殆んど当時のことは記憶にない旨当公判廷において供述し、第四回公判調書中被告人田村の供述にも被告人佐藤は当時ぐでんぐでんに酔つていた旨の記載があり、その他の証拠によつても当時被告人佐藤が飲酒のため相当程度酔つていたことは認めるに難くないのであるが、前記のとおり、被告人田村、黄竜達等が右吉岡から奪取した現金は、逃走の途中いづれも被告人佐藤に渡していること、(若し、同被告人がぐでんぐでんに酔つて前後不覚とまでいかなくとも、事物の弁識が著しく困難と認められる程度に酔つていたとすれば、そのような者に金を預けるということは通常考えられない。)また犯行後一たん自宅へ帰り、直ぐまた被告人田村と洋酒バーへ呑みに出かけ、二人で五、六百円分の飲酒をしていること、その他前記各証拠を合わせ考えると被告人佐藤は当時心神喪失はもとより、心神耗弱の状態にもなかつたものと認めざるを得ない。

(法律の適用)

法律に照らすと、被告人田村茂雪の判示第一の所為中、被告人佐藤外一名と共謀の上吉岡徳治に一連の暴行を加え、傷害を与えた点、及び第二の小財正義に傷害を与えた点は、いづれも刑法第二〇四条(但し前者については更に同法第六〇条。)に、第一の所為中、被告人佐藤外一名の者と共謀の上右吉岡に暴行を加え、同人から金員(腕時計を除く)を強取した点は刑法第二三六条第一項、第六〇条に該当するところ、右吉岡に対する傷害と、強盗の所為は一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから同法第五四条前段、第一〇条により重い右強盗罪の刑に従い、右と小財正義に対する傷害罪とは同法第四五条前段の併合罪の関係にあるから、右傷害罪については懲役刑を選択し、同法第四七条、第一〇条により重い右強盗罪の刑に同法第一四条の制限に従い併合罪の加重をし、

又被告人佐藤正勝の判示第一の所為中、被告人田村外一名と共謀の上吉岡徳治に一連の暴行を加え、傷害を与えた点は同法第二〇四条、第六〇条に、同人から腕時計を窃取した点は、被告人田村外一名と共謀の上同人に暴行を加え、同人から金員を強取した点と包括して同法第二三六条第一項(但し後者については更に同法第六〇条)に該当するところ、右傷害と、強盗とは一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから同法第五四条前段、第一〇条により重い右強盗罪の刑に従い各処断すべきところ、本件吉岡に対する傷害は被告人側、被害者側双方共に飲酒のうえ、興奮状態にあつたことも手伝い、偶発的に行われた犯行であり、同人に対する強盗に付いても先のけんかの行きがかり上これ又偶発的に敢行されたものであり、又小財に対する傷害は被害者側にも責むべき点のあること、更に本件各被害の比較的軽微であつたこと、その他被告人等の経歴、年令等諸般の事情に照らし犯情に憫諒すべき点があると認め同法第六六条、第七一条、第六八条第三号により右各処断刑にそれぞれ酌量減軽した刑期範囲内で被告人等を各懲役三年に処し、なお同法第二一条により未決勾留日数中それぞれ一八〇日を右各本刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により全部これを被告人等に負担せしめないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 西尾貢一 萩原寿雄 大野孝英)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例